もしゃもしゃもしゃもしゃもしゃ。
 もしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃ。
「ふぶきちゃん」
 もしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃ。
「ふぶきちゃんってば」
「なによ、知世」
 服の裾を引っ張られて、ようやく私は隣で知世が呼んでいることに気がついた。
 咀嚼運動を永久機関のごとく無制限的に続行する私の下顎を一度止め、口の運動目的を「食べること」ではなく「喋ること」へと切り替える。
 知世は心配した様子で私を見ていた。あまりにも、その表情が深刻そうで、見ているこちらのほうが悲しい気分になりそうなほどだ。
 でも、そんな悲哀に満ちた顔も可愛いよ、知世。
「守羅さんを他の女の子に連れて行かれて不機嫌なのはわかりますわ。けれど、こんなにたくさんやけ食いしては、体にもお財布にも悪いですよ?」
 私の目の前に並べられたパンの山と、私の顔を見比べながら、知世が言ってくる。
「べっつにい。全然、あいつのことなんか気にしてないよ。それにお金は守羅が出したから問題ないもん。このパンの量も、おなかがすいているからちょうどいいくらいだもん」
 と、いいながら、私はパンの山からまた1つ口の開いてない新しいものを手に取る。油抜きした鶏肉を野菜と一緒にはさんだサンドイッチだ。
 空袋は、未開封のパン山の隣に置いておく。いつの間にか、空袋と未開封とが同数になるほど食べ終えていた。このサンドイッチで5個目くらいか?
「やけ食いでしょ?」
「違うもん」
「だって、鶏肉サンドイッチとか、あっさりしたものいつも食べないじゃない。私じゃとても食べられないような、味の濃いものや、脂っこいものが大好きじゃない」
 確かに、知世の言うとおりだ。私が好物なのは、肉や魚の油たんまりとしたものに、濃いソースを絡めたもの。皮なしの鶏肉や、白身魚や、野菜のような、油の「あ」の字もない食事は大嫌いだ。
 なのになんで買ってきてしまったかといえば、まあ、勢いだ。昨日の約束通り、お昼を守羅におごらせようと思って食堂に来たら、あろうことか守羅が操と一緒にいる姿を目撃したのだ。しかも、操は親しげに守羅の腕にまとわりつき、傍から見れば恋人同士のごとき様相。
 それを見た途端、私の腹の底から、沸騰した熱水から沸き立つ泡のように、怒りがぐつぐつと込み上げてきた。私との約束があるのになんで。いや、それも、よりにもよって操と一緒にいるんだ、あいつは。
 この苛立ちを解消するにはどうするのが一番の解決法か。
 今、この場で即時実行できる解決法。それは昨日の約束を利用して「浪費して食事する」ただそれだけだ。
 だから、操を無理やり引き離し、守羅を引きずり回し、片っ端からパンをかごに放り込み、守羅に支払いを任せた。このくらいの支払い、守羅は問題ないだけ現金持ち歩いてるから大丈夫だもん。心配ないもん。
 まあ、そのせいで普段食べないようなものまで買っちゃったんだけどね。さすがに、買ってもらったものを捨てたり、他人にあげたりするのも気が引けるので、全部自分の胃の中に放り込むけど。
 この鶏肉サンドイッチにしても、あっさりしているうえにレモン果汁が使われ、好きじゃないのに勢いで買ってきてしまった。同じように、別段好きでもないのに買ってきてしまったパンが、目の前の山の中にちらほら見える。
 困ったな。少し満腹感を抱いてきたせいで、周りの様子を見る程度には、頭が落ち着きを取り戻してきた。衝動のまま食べ散らしているから、味のほうは問題ない。味覚が麻痺してるし、ろくに噛まずに飲み干しているから味わう余裕もない。心配なのは腹の具合だ。今は大丈夫だけど、落ち着いてからきついことになりそうな気がする。
 うむむ、どうしよう。吐き出すのももったいないし、気持ち悪いし。けど、この許容量越えた胃袋で午後の訓練は地獄だぞ ・・・ ・・・ 。
「あいつのことなんてどうでもいいもん。他の女とよろしくやってても、別になんとも思わないもん」
 それでも軽口をたたくことは忘れない。半ば、意地の境地だ。
「それじゃ、なんで守羅さんのほうを見ないんですか?」
「べ、別に意識して目をそらしているわけじゃないもん。こっち見ていたいだけなんだもん」
 なかなか知世が痛いところをついてくる。
 でも認めるわけにはいかないし、認めたくもない。なんで私があいつのことを気にかけないといけないんだ。
「あ、ふぶきちゃん。守羅さんがこっちにきますよ」
「 ・・・ ・・・ 」
 一瞬、私の心が揺らいだ。
 しゅ、守羅がこっちに近づいてきている?
 いやいや落ち着け。あいつのことなんてこれっぽっちも気にしてないもん。だから近づいてきても、何も支障も、動揺する理由もないもん。
 見ないもん。
 話聞かないもん。
 話しかけないもん。
 ちなみに、守羅がいないほうへ体ごと向きをシフトさせ視界に入らないようにするのは、ただの気まぐれだからね。顔をあわせたくないからじゃないんだからね。
 机の上に山積みにしたパンまで見えなくなったけど、そこは手探りで探せばいい。適当に手に触れたものを引っ張り寄せて、それを口に運ぶ。
 う、これレーズンいりだ。レーズン嫌いなのに。
「ふぶき ・・・ ・・・ 」
 背後から守羅の声がしてくる。
 さあ、何をいう気かな?
 昨日、図書館で私の警告を聞かなかったことに対する謝罪?
 パン代の請求? まあ、これは返すつもり0だけど。
 それとも助けを請う? まあ、誠意が感じられれば考えてやらないこともないわね。
「おはようございます」
「 ・・・ ・・・ おはよう」
「もう調査隊の出欠は提出しましたか?」
 なんでそんなことを今聞いてくる。関係ないじゃない。関係ないから答えてあげるけど。
「出したわ」
「欠席ですか?」
「なんでそうなるのよ。出席よ、出席。それがどうかしたの?」
 守羅の言葉が途絶えた。いったい、なんだっていうのよ。
「そう、ですか。遅かったわけですね」
「な、なによ。深刻そうな顔して」
 思わず振り返って守羅を見てしまった。いつも浮かべている笑顔が消え、沈痛な面持ちだ。なんだ、一体何があったんだ。
「非常に言い辛いことなんですけどね、ふぶき。落ち着いて聞いてください」
「さっさと言いなさいよ」
「分かりました。 ・・・ ・・・ 実は彼女、操も今回の調査隊の参加者なんだそうです」
 ・・・ ・・・ 。
 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 。
 はい?
「え、いや、ちょっと待ってよ。あんた、会議で一回、参加者と会ったんでしょ? なんで、あんたが知らない人がいるわけよ」
「どうやら全員が会議に参加していたわけじゃなかったようなんです。彼女がその一人です」
「26人って人数は分かっていたんでしょう?」
「会議の欠席者は代理人を使っていたみたいなんですよ」
 なんだそれは。
 いや、重要な会議だから代理人を使うことはまだ分かる。
 しかしだ。私が見る限り操は同年代くらいに見える。代理を立てるような印象じゃない。それどころか、代理を立てれば「なぜ欠席するのだ」と上の人間から叱責を受けそうなくらい若く見える。
 どういうことなんだ、これは?
 百歩譲って操が実は結構齢を重ねているとしよう。人種によって寿命は変わるし、容姿を変えることができるものもいる。
 だとしてもだ。そうなると、また別の謎が浮かび上がる。なぜここまで守羅に付きまとう必要がある?
「守羅。あんた、あの女になんかしたの?」
「したの、てどういう意味ですか」
「口説いたとか、告白したとか。なにか理由があるはずでしょう、付きまとわれる理由が」
「別に何もしてませんよ。昨日、普通に助け起こしただけですけど」
「それだけ? 本当に?」
「ええ、本当です」
 守羅の顔に、ほんの少しだけ笑みが戻った。ただそれは、引きつった口元がそう見えただけに思えるほど、いびつなものだった。操のせいで相当苦労しているらしい。
 まあ、それもそうだろう。成績優秀、容姿端麗の守羅が他人の目を惹かないはずがない。普通に暮らしているだけでも、人々の視線は守羅に集まりやすい。今回の調査隊参加が発表されてからは、特にその傾向が顕著だ。
 人に見られる、という状況は想像する以上に精神的に疲弊する。人間というものは見られれば、見る相手に対して無意識のうちに反応を返してしまう生き物だ。見られる視線の意味が、良い悪い関係なく、その点に相違はない。いい意味で見られるのならよりよく見られようとするし、悪く見られれば反発したり抵抗するか、よく見られようと意識する。実際に行動しなくとも、心の動きが精神を磨耗させる。
 単純に良い悪いに分けられない視線もある。好奇の眼差しがそうだ。ただ「見てみたいから」というだけで生まれる視線も、見られる側には実にきついものがある。平然と受け流せるならいいが、そこから心の中で考え込んでしまう人間だと疲労しやすい。
 緊張と抑圧。肉体的な攻撃がなくとも、人間の精神は病んでしまう。
 これを体系化し、理論だてたのが『精神系』の魔法なんだけど。
 今の守羅は、さらに操の存在がある。操がぴったりと守羅に付きまとえば、向けられる視線は好奇だけではない。敵意、悪意、嫉妬、悪い方向の視線なら、巣穴から蟻が這い出るようにいくらでも生まれるだろう。人生勝ち組みたいな秀才が、目の前で異性とべたべたしてれば、誰でもいいようには思わないに違いない。
「で、私にどうして欲しいわけよ」
「ふぶき。機嫌を直してくれたんですか?」
「別にそういうわけじゃないわよ。ただ、あんたが苦労しているのをほっておけるほど、私は精神図太くないの。図書館に呼んだのは私だったわけだしね」
「ありがとうございます、ふぶき」
 助けを申し出ただけでここまで感謝されるとは。ほんとに参ってたんだな、こいつ。
「で、具体的に何か対策法はあるの?」
「いえ、なにも ・・・ ・・・ 」
「なによ。それじゃ私に相談されてもどうしようもないじゃない」
 食べかけのレーズンパンを机に放り投げ、私は頭を抱えた。
 しつこく、粘着質に付きまとう女、操。彼女を引き離す方法、か。
 頭を抱えた腕の下から、こっそりと操の様子を確認する。操は机に座ったまま、花のような青紫色の両目でこちらを見ていた。その様がなんとも不気味だ。無言で、微動だにせず、まるで「あなたたちには興味が無いですよ」と言っているような素振りだ。そのくせ視線だけはこちらからに向けたまま、決して外さない。
 そこに、奇妙な冷静さがあった。異常なほど執着している守羅が、他の女のもとへと足を運び、会話しているというのに。即座に駆け寄ってきて、守羅を連れ戻して行っても不自然じゃない。むしろ、そのほうが自然だ。なのに、操は何もしてこない。
 ストーカーまがいの過度に積極的な行動と、舌なめずりする蛇のごとき落ち着きが噛み合わない。それともこれは、蛇なんて生易しいものではなく、獲物を狩るために知略を巡らせる獰猛な肉食獣の姿なのか?
 どちらにしても、捉えようの無い不気味さを操が備えていることは事実だ。直感的にだけど、私は操が「私たちだけでは対処しきれる相手ではない」と感じた。
「守羅。操のこと、一度先生に相談してみない?」
「先生に、ですか」
 守羅が渋い顔をした。躊躇しているようだ。
「まだ、彼女とであったのは昨日が初めてですよ? 早すぎませんか? もっと彼女自身と会話して、それからでも遅くないと思うんですが」
 私の判断を早急なものと思い、逆に守羅が私に説得を試みてくる。
 確かに守羅の言うとおりだ。昨日、出会ったばかりの相手をいきなり教師に突き出す。話としては急ぎすぎている気はしないでもない。
 だが、そういう常識的で、冷静で、一見すれば問題が無いように見える判断を、私の直感と本能的な警告が猛烈に拒絶してくる。じんわりと、冷たい汗が背筋に浮かびつたうほどに。
「守羅。聞いてもいい? 操についてなんだけど」
「操さんについてですか? 別にかまいませんよ。全部を喋ると話が長くなるので、何を聞きたいですか?」
「そうね。とりあえず、年齢と、職業とか」
 そのとき。
 その一瞬だ。
 私が言葉をほんの少し交わすために目を話した数秒の間に、操の姿がさっきまでいた場所から消えていた。
「守羅! 操はどこに行ったの!?」
「ここにいるわ ・・・ ・・・ 」
 喉に、硬く、飲み込めないほど大きな塊を押し込まれたような息苦しさが走った。さっきまでは緩やかに流れ落ちていた汗が、背中全体を一度にぬらすほど噴きあがる。
「なにか、私に用かしら? ふぶきさん」
 背後から操の声がしてくる。落ち着きと、知的さまで感じられる、大人の声音だ。だから、寒気と戦慄が私の体を駆け巡る。昨日から今先ほどまでの印象とは、かけ離れたその言動に。何か、意思を感じる。その根底に、そういう行動をする目的が透けて見える気がする。
「どうかしましたか? 首筋が汗でびっしょりですよ」
 誰のせいだと思ってる、こいつ。
 守羅は守羅で、私の異変に気づき、気遣わしげな表情を浮かべてはいるが、その理由が分からず困惑顔だ。役に立たない。
「ふぶきちゃん。そろそろ行かないと、午後の訓練に間に合いませんわ」
 守羅の背後で、背景のように押し黙っていた知世が声を発した。顔は私のほうに向けながら、右手の人差し指では逆方向を指している。指先が指し示すのは、食堂にある壁掛け時計だ。
「訓練のための準備があるでしょう、ふぶきちゃんは。早めに行かないと、鎧をつけたり、いろいろ大変ですわ」
 知世が私に片目をつぶって見せる。どうやら、私の心中を察し、その上で妥当な助け舟を出してくれるのは知世だけのようだ。
「そうそう。急がないと、もう時間だもんね」
 少々強引だが、他に打開策も思いつかないから一気に畳み込む。実際、時間はかなり切羽詰りつつある。のんびり話をしていたら、本当に遅刻しかねない時刻だ。
 食べ残したパンは紙袋に詰め、食べ終えたゴミは両手で無理やり押し潰す。ここに戻る必要がないよう、全て一度で持ち出せる形にしなければならない。それが終われば、後は即急即時、この場から退散するだけだ。
「それじゃ残念だけど、お話はまた今度ね」
「ふぶきさん」
 操が呼びかけてくるが聞こえない振りをした。ここで足を止めたら、知世が助けてくれた意味が無い。
 いまだに席に座って食事したり、談笑したり、あるいは、立ち上がり席の間を移動する生徒たち。その間を縫うように、できる限り速く、食堂の外を目指し踏破する。
 みな一様に楽しそうにしているのが癇に障る。逃げ出したい一心で気にしている余裕も無いのだが、耳も目も人並み以上にいいから無視することもできない。押し寄せる大波のように、生徒たちが立てる音が、声が、一体となり意味の無いざわめきになって聞こえてくる。何を話しているか、何が話題なのか、一つ一つの意味は分からない。けれど、声の抑揚や表情から、感情を読み取ることはできる。
 だから、これもきっと周りを気にしすぎた私の幻聴なのだ。
「またね、ふぶきさん」
 互いの距離は10数メートル。さらに、生徒たちのざわめきを挟んでいながら聞こえた、操の声なんて。


「少女の物語7」へと続く
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