「確かに一度見てみたいとは言ったけれどもね」
 横に並んで歩く守羅に事実を認めつつ、私は手に持った紙片へと手を向けた。そこには友人から頼まれた本の題名がずらずらっと並んでいる。どれも読んだことがない本だな。知世のことだから、恋愛いっぱいの女の子向けの作品だろう。
 午前の訓練を終えた私は、食堂で落ち合った知世に伝言を頼んでいた。調査隊推薦について、直接推薦した本人から話を聞くために、放課後図書館に来るよう守羅に話をつけてもらったのだ。
 で、話をつけてもらう代わりに渡されたのがこのメモ用紙だ。図書館によるついでに借りてきてほしい、と言って渡された。
 何百、何千とありそうな蔵書の中から、題名と管理番号を手がかりに目的の本を探していく。この管理番号のおかげで、かなり探しやすいのよね。題名だけで探そうと思えば、どれだけ大変なことか。ひとつのジャンルだけに絞り、本棚の一面だけを見てみても、蔵書は軽く数十冊はある。それが一面、二面を増えれば、途方にくれる冊数だ。
「勝手なことをして申し訳ありません。まさか、本当に採用されるとは思わなかったので・・・」
 本と棚の隙間から向こう側が覗き見える。この図書館は円形をしていて、設置上問題がないよう配置するため、本棚は中央を中心に互いが向き合うように設置されている。上から見ると、ちょうど多角図形を描く構造になる。だから、もっとも内側にある本棚から中央を見ると、対象位置にある本棚を見ることができるのだ。
「冗談半分で言ったことだったの?」
「議会中に意見を求められたんですよ。何か生徒側から案はないか、と」
 メモと管理番号が合致した本を見つけ、本棚から引っこ抜く。題名は「マリア様がみてる」とある。手のひらに乗る軽い小説だ。
「1人だけだと淋しい、と思ったんです。いえ別に調査隊の人数が少ないわけじゃないんですけどね。今回は私を入れて26人だそうですよ」
「私を入れたら27ね」
 表紙には三人の少女が描かれてある。1人だけ背が高く描かれている女性がいるが、彼女だけ年齢か学年が違うのだろうか。全員同じ制服を着ているから、明らかに学生だということがわかる。
「でも、あんたそんな淋しがり屋だったっけ?」
「単純な人数の話でなく、年齢の問題ですよ。今回の参加者はみなそろって30以上の方々ばかりで ・・・ ・・・ 」
「なるほど。それは気まずそうだわ」
「せっかく貴重な経験をするんですから、のびのびとしたいじゃないですか。なのに、まわりと年齢が合わないと、礼儀だとか、体面的なものとか、いろいろ注意する必要がある場面が多くて、めんどうでしょう?」
「 ・・・ ・・・ あんた、意外に腹黒いわね。理解できるけど」
 脳裏に昔父さんが家に同僚を連れ帰ってきたことを思い出した。年上ばかりな上に、初対面で肩身を狭い気分だったな。まあ、飲み仲間ですでに酔っ払っていたことも理由なんだけど。
「それで以前ふぶきが遺跡の中を見て見たいと言っていたことを思い出しましてね」
「言っちゃったんだ」
「言っちゃいました。ほんとに軽い気持ちで言っただけだったんですが ・・・ ・・・ 」
 やっとこさ、話の流れが見えてきた。
 守羅本人も熱烈に支持して私を推薦したわけじゃなかったわけだ。
「しかし、そうなると意外に調査隊採用の基準って低いのかな? それとも、軽いノリで決めたとか?」
 前者はまず考えられない。今まで公表されていた参加者名簿を見れば一目瞭然だ。他者から一目置かれるだけの地位や、実績を積んだ実力者ぞろいである。
 そうなると後者か? それはそれで、参加者を考えればありえない気がするけど。
「私が魔法使いだったんで、バランスを取るつもりだったのかもしれませんね」
「ああ、そういう考え方もあるか。あんたが後衛で、私が前衛、て区分ね」
 魔法使いは万能扱いされる傾向があるが、現実的に見れば、小説に登場する超人キャラなどほんの一握りだ。
 敵の攻撃を受け、それに防御魔法を発動させるだけでも、具現化、攻防化、各二体系についての知識と技術が最低限必要になる。さらに相手の攻撃方法によって、具象化、精神系を考えに入れ構築する必要がある。なぜなら、それぞれ使用する分野によって構築される障壁には違いが生まれるからだ。具現化、攻防化は、物質的な壁の構築になるし、具象化、精神系は、属性や精神攻撃に対処するために必要になる。
 これは攻撃側であろうと違いはない。立場が逆になるだけだ。
 マンガやゲームでは何も考えず魔法の応酬をしているように見える。けれど、現実の実戦は濃密な心理戦の連続なのだ。単純な白兵戦以上に。
 だから、相手の攻撃を一身に集め、魔法使いのために時間を稼ぐ前衛は必要不可欠だ。一般旅行者であろうと、盗賊、魔物が現れる危険な場所を通過する場合、前衛後衛の形は必須になる。まあ、前衛だけ1人で旅する場合はなくもないかな。けれど、後衛1人で旅するとなると、よっぽどの実力者か、でなければただの馬鹿、きわめつけの愚か者だ。
「けど、仮にその前衛後衛方式が理由だったとしても、私が選ばれるとはねえ」
「初対面の相手を組ませるより、見知った相手のほうがいいと思われたんじゃないでしょうか。一番最初に思いついたのがふぶきだったわけですし」
「 ・・・ ・・・ それじゃやっぱり、あんたが原因じゃないの」
 二冊目みっけ。次は「薔薇のマリア」とある。さっきと同じサイズの小説。いや、この表紙と大きさだと、ライトノベルと言うべきか。
 げんなりとした声で返す私に、守羅は苦笑を返してきた。
「けど、参加は任意でしょう?」
「まあ、ね。あんたは任意だったの? それとも、強制?」
「私は、まあ、半強制といったところでしょうか」
「どういう意味よ、それ」
 守羅が肩をすくめた。いつもどおり笑ってはいるが、ここまで困惑というか、迷惑というか、そういう雰囲気を放散していることも珍しい。
「遺跡のこととか、調査隊のこととか、山のように情報をよこしてきたんですよ。そこまで熱心に勧誘されて断るのも悪いかな、て」
「なるほど。そういうことね」
 相手の熱意に負けた、てとこか。
「あんただって悪い気はしてないんでしょう? 調査隊採用なんて、実力を認められた証拠じゃない。しかも、遺跡の中を見れるなんて一生に一度あるかないかよ。 ・・・ ・・・ あんたの実力なら常任調査員になれそうだけど」
 聞きながら、ぱらぱらと二冊目をめくってみる。ん? これ戦闘ものか。知世にしては珍しい。剣を握った表紙の女性が主人公か?
「私はただの秀才ですよ。実際の調査員の方たちは、私と同じ秀才の道を辿ってきた人ばかりですから。ここから、さらに先へと伸ばさないと常任なんて、とてもとても」
「秀才ばっかって、どんな化け物集団よ」
 本から目線を上げ、げんなりしながら聞き返すと、守羅が空元気のような笑い声を漏らした。秀才、天才と呼ばれ、自他共に認められたさすがの守羅も、調査隊の顔ぶれには面食らったらしい。
「そうですね。ふぶきが知っている有名な人なら、赤恋花とか、黒将峰聯とか」
「ちょ、待ちなさいよ! そんな大御所来てるの?」
 思わず出してしまった大声に周囲の視線がこちらに集中する。放課後だから、授業を終えた生徒たちが多いんだよね、この時間。
 見られたままだと気恥ずかしいので、守羅を押し本棚の間へと逃げ込む。
「どっちもすごい人達じゃない。しかも、黒将峰聯のほう。わざわざ向こうから来たわけ? 呼ばれてきたの?」
 若干、声を小さくして守羅を問い詰める。今まで会話していた音量で別にいいのだが、さっきの叫び声のせいで無意識のうちに小さくなってしまった。
「ええ、会議のときにいらしていましたよ。先週のことですね」
「出発の1ヶ月前からこっちにきているのか。用意周到ね」
「こっちでの勉強と視察を兼ねているそうですよ」
 三冊目を目指し歩きながら、黒将峰聯について会話をする。
 次は魔法書か。小説の本棚からは少し離れているぞ。
「学校の敷地内に居るの? それとも、外の宿か、誰かの屋敷に泊まってるの?」
「訓練を受けているらしいですよ。どこでやっているかは知りませんが、おば様に彼について聞いたら答えてくれました。おば様の指導の下、訓練を受けているようです」
「えっと、あんたのおば様が赤大佐だったわよね」
 守羅のおば様、もとい赤恋花。地位は大佐。魔法使いでありながら、魔法による強化と、複数の肉体強化術と武術を体得することで前衛としても戦える、前衛後衛両立した超人だ。しかも、おんとし56にもかかわらず現役で、魔物相手に今も前線で戦っている。
 一方、黒将守羅のほうは齢30ながら、国際治安維持機関サルンガの実戦部隊に所属する隊員だ。入隊してから日が浅いせいで活躍の話は多くはないが、実績は一目置かれるものばかり。赤大佐を伝説の偉人とすれば、黒将守羅は私たち前衛部隊志願候補生が目標とする憧れの対象になる。
 書類のほうには調査員の隊員名簿まで載せられてなかったから知らなかったが、この二人だけで十分有名人ぞろいと言える。
「赤大佐の訓練、かなり厳しいらしいけど本当なの? うわさ程度にしか聞いたことないんだけど」
 私の問いに、守羅の笑顔が固まった。いや、笑顔だけでない。体の動きまでもが、時間を止められたように停止した。私の脳内で『ザ・ワールド!』の叫び声が再生されるくらい、唐突に。
 あ、あれ?
「いや、そうです、ね。あれはもう、厳しいとか、辛いとか、そういう次元ではないかと ・・・ ・・・ 」
「 ・・・ ・・・ 」
 守羅がだらだらと汗を流し始めた。凍結された笑顔がひくひくと痙攣を起こし、引きつり、少しずつ崩壊していく。この様子だと、流れ落ちる汗は、冷や汗だとか、脂汗だとか、そういうあまり好ましくない類のようだ。
「聞きます? 別に他人に話したところで支障は無いと思いますが」
「いや、あんたの反応だけで十分だわ」
「そ、そうですか。よかった ・・・ ・・・ 」
 訓練の内容を話さないで済んだだけで安堵するなんて。いったい、どんなすさまじい訓練内容なんだ。
「まあ、そんなわけで、大変な訓練を受けているそうです、よ」 「そうなんだ」
 何でだろう。会ったこともない黒将峰聯に、同情と哀悼の念が浮かび上がってきたのは。
 そうこうしている間に目的の魔法書を収めた本棚に到着した。管理番号を確認し、本棚の側面に張られた分類表で大まかな位置を特定。その上で、蔵書1つ1つを見比べていく。小説の棚と違い、厚さと幅のある書物が多いな。
「遺跡の中を観察できることはもちろんですけど、調査隊に参加している人達の姿を見れるのもお得だと思いますよ。それに、中は亡霊が大量に発生しているらしいですから、戦闘を目にする機会もあるはずですし」
「ほうほう、なるほど、確かに、ね。て、あんた。そうやって私を参加するよう誘導して、自分がやったことをうやむやにする気じゃないでしょうね?」
 私の切り替えしに、守羅の体が一瞬強張ったぞ。にこやかな笑顔を浮かべながら、やっぱり腹黒いぞ、こいつ。
「ま、まあ、そのことはもういいじゃないですか。参加の機会を手に入れたことで帳消しということで」
「 ・・・ ・・・ やっぱり話をはぐらされている気がするけど。まあ、いいわ。確かに、めったにない機会を得られたんだから、許してあげるわ。明日のお昼ご飯1回でね」
 ようやく発見した三冊目を引き抜きながら、横目で守羅を見る。いつもと変わらない笑顔に、ほんの少しだけ安堵の色が浮かび上がった。ふと思ったが、守羅の笑顔って別にポーカーフェイスの代わりにもなってないよね。なんでいっつも笑顔なんだろう。
「さて、貸し出し処理のために受付へと行きましょうか」
「全部集め終わりましたか?」
「うん」
 三冊まとめて片手で掴み、見えやすいよう守羅の目線へと持ち上げてやる。薄く小さな小説が二冊、市販の専門書ほどある分厚く重い本が1冊。魔法書が重そうだけど、伊達に鍛えていない私の腕力には、苦心する重量ではない。
「『ジャイロ法則と黄金比率』ですか。具現化と操作系の複合論理魔法書ですね」
「タイトルだけで内容が分かるんだ」
「ジャイロ法則は授業で習いましたから。回転法則に関する理論で、黄金比率を利用する方法は有名なんですよ」
「私は魔法は門外漢だからなあ。攻防系以外はまったくダメだわ」
 そう言いつつ、試しに魔法書を開いて中を見てみる。ほら、興味のない分野でも他人に話されると気になってくる、あの心理よ。
「わかります?」
「いや、ぜんっぜん」
 なんとなく開いたページには、他二冊とは比べ物にならない分量があった。魔法書1ページ分で、小説2ページ分ありそうだな。その上、よく分からない斜め文字が大量に使われている。多分、理論か人名なのだろう。それ抜きにしても理解できる部分は皆無に等しい。小さな頃に新聞を読んだとき、理解できない漢字だけを抜かして虫食い状態で読んでいる気分だ。
「よくこんな難しい本を読めるわね」
「理解できると楽しいですよ。その点は小説と違いはありません。ふぶきだって小説の好き嫌いくらいあるでしょう? それがもっと広い分野に広がっただけの話です」
「そう言われれば納得できるけどね」
 魔法書を閉じ、代わりに小説のほうを見ながら、受付を目指し歩き出す。
「危ないですよ、ふぶき。読むんならちゃんと席に座って読まないと」
「いいわよ、そこまでしなくても。どうせ相部屋の知世のために借りる本だもん。ここでじっくり腰を据えて読む必要もないわ」
 やっぱり、小説のほうが読みやすいなあ。まあ、この分量と挿絵の多さだと、ライトノベルと呼称したほうがいいんだろうけど。
「ところでそれ、新刊なんですか?」
「いや、去年発売されたものだね。古い作品ではないみたいだけど」
 巻末にある発行時期を確認する。去年の中期に発売された作品か。これだと新刊は次の巻くらいだな。そうなると、この作品を全部揃えた棚に新刊もあったかもしれないな。そっちは借りなくてよかったのか、知世?
「ま、本を渡すときにでも聞いてみるか」
「何か言いましたか?」
「ただの独り言よ、気にしないで」
 小説を閉じ、文面から私は顔を上げた。足を踏み外したりしないよう先を歩く守羅を目印に歩いていたが、いつの間にか階段近くまで辿り着いていた。
 図書館は中央が吹き抜けになっていて、天井はガラス張りになっている。初春は日光が緩い時期だからか、床を照らす明かりはあまり強くはない。これが夏だと、はっきりと白い光の円ができるほどなんだけどな。
 二階から吹き抜けへと覗き込むと、図書館の受付が見えた。
「ふぶき。ちょっと待ってください」
 受付に向け階段を降り始めようとする私を、守羅が背後から呼び止めた。
「なによ」
「ほら、あそこ」
 守羅が指差す先は、生徒が借りる前に本を試し読んだり、自習するために机が設置された場所だった。その本棚の間から見える机と椅子の陰に、1人倒れた人影があった。
「 ・・・ ・・・ 。怪しいわね」
「いや、怪しいとかそうじゃなくて」
「違ったらなによ」
 眉をひそめて聞き返す私に守羅が困惑した表情を浮かべた。
「人が倒れているんですよ? 持病か、なにか危険な理由があるに違いありません」
「そうかなあ」
 私が疑問を抱いているのは、別に私が冷酷だとか、冷徹だとか、そういう意味じゃない。
 この学校は、エリュシオンにある国立総合教育機関『グリュテンクスィール』ほど生徒数がいないものの、かなり多様な人種が集まっている。文化や習慣は違うのはもちろん、人格や趣味思考も異なる。
 例えば人を魔眼で魅了するサキュバスやインキュバス。この類の人種は、生来色事が好きで誰彼構わず魅了しようとする。しかし、魔眼には『相手の目を直視する必要がある』という制約がある。だから、道端に倒れていて人を寄せ付け、隙をついたりするような不届きなやからが稀にいるのだ。
「罠であろうと、なかろうと。近づいて確認する必要はありますよ。心配ならふぶきは少し離れて見ていてください」
 私の返答は待たず、つかつかと守羅が倒れた誰かへと近づいていく。
 遠めに見る限り、髪の長さから女性ではないかと推測することぐらいしかできない。歳は私と同じ16くらいだろうか。うつ伏せになっている上に、長い髪が覆いかぶさって顔を見ることはできない。服は当然学校規定の制服だ。前衛志望者も、後衛志望者も、どちらも制服に違いはないから、そこから推理を広げることはできない。
 守羅が傍で腰を下ろし、肩に触れた。倒れている理由がわからないから、体は揺らさない。声をかけるだけだ。
 お、守羅の声に反応して倒れた女(?)が身悶えたぞ。どうやら意識はあるらしい。しかも、自力で起き上がり始めた。どうやら命に別状はないようだ。
 体を起こすにつれ、見えなかった顔がようやく明らかになる。予測どおり、女性だな。なかなか美形だ。驚きと、戸惑いが入り混じった表情を浮かべている。見る限り外傷は見当たらない。なんで倒れてたんだ、この人。
 守羅は守羅で、名前やら、どこか異常はないかと問いかけている。意識があるなら問題はないでしょうに。なんでそこまで初対面の相手を手厚く面倒を見る必要がある。
 いらつきながら、けれど急かすと心象が悪いし、心優しい守羅は簡単に言うことを聞かないだろうから「早く行こう」と一言口走るのをぐっと押し込めて耐える。
 あれ、なんで私こんなにいらついているんだ?
 女が完全に上半身を起こしきった。守羅の質問にもちゃんと答えているようだ。意識もあるし、ちゃんと思考が働いている。保健室に連れて行く必要もなさそうかな、これなら。
 そのとき、ふと女がこちらを向いてきた。甲斐甲斐しく自分を助けようとする守羅に気をとられ、私に気づいていなかったのだろう。
 私のほうへと向いた女は、綺麗な顔をしていた。真正面からちゃんと見えると、そのことがよくわかる。顔の均整の取れた端正な顔立ちは年齢以上に大人びた雰囲気を醸し出し、知的で、世の事象に対する余裕すら感じられる。そのせいだろうか。一瞬、私に挑発的な笑みを浮かべたような気がした。
「ふぶき。どうやら、彼女無事なようですよ」
「ここから見ても分かるわよ。そんなことくらい」
 安堵すると共に、私は女に近づいていった。初対面なんだから挨拶くらいはしておかないと、ね。
「私は木之本ふぶきよ。あんたの名前は?」
 にこやかな作り笑いを浮かべて問いかける私。本心から初対面の相手に笑顔を向けられるほど、私は純粋でも人間できてもいないもの。
 だが女の応答は、私の精一杯の行為をぶち壊す行動だった。
 突然、女が、あろうことか、私の目の前で、守羅に抱きついたのだ。両手を守羅の首に回し、頭部を互いに触れ合わせ、親密な恋人のような固い抱きしめ方だ。
 挨拶だとか。
 名乗りだとか。
 許可だとか。
 親の合意だとか。
 いやいや、落ち着け。それ以前に、いろいろ問題があるだろう。
 とにかく、抱きつくまでに普通なら必要な手順をぶっとばした大胆な行動だ。キングクリムゾンも真っ青なぶっとばしっぷりだ。
 私だって、地域や風習によって、そういう挨拶があることぐらい知っている。だが、この女は違う。絶対に違う。確実に確信犯だ。しかも、私に対するあてつけにするために。
 だってこの女。守羅に抱きつきながら私を挑発するような笑顔を向けてきたのだ。
「私の名前は春川操(みさお)」
 私が混乱していることを分かっていながら、あえてレナは挑発の色を濃くしてくる。自信と、威圧感に満ちて、勝者のごとき微笑。
「よろしくね」


「少女の物語6」へと続く
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