腹立たしくも毎日のように繰り返し身に染み込ませた習慣というものは、いつ何時であってもちゃんと働くものである。
 私は可愛い小鳥の鳴き声が聞きながら、寝不足で重い体を無理やりベッドの上で起き上がらせた。
 眠い。すっごい、眠い。目を擦っても、頭をゆすっても、眠気が全身から離れてくれる気配がまったくない。しつこく意識の中を占領し、私を幸せで心地いい夢の世界へと誘い込もうと熱心に勧誘してくる。
 うざったらしいが、消すことはできないし、抵抗する意志を起こすことも億劫だ。一度起こした体をベッドの上に投げ出さないよう耐えるだけでとても辛い。
 気温の低さと、暖かい布団の中との温度差が私を誘惑し、なお苦しい。
 うう、最高に幸せな世界が目の前にあると分かっているのに、そこに埋没できない現実のかくも辛いことか。
 それもこれも、昨日の大全教授から伝えられた推薦の話のせいだ。あれのせいで緊張してしまい、ろくに睡眠をとることができなかった。私は遠足の前日に寝れなくなる小学生かっつーの。
「うう・・・」
 きつく奥歯を噛み締めながら私は布団を跳ね除け、ベッドから降りた。
 そう辛い眠いと叫ばないでくれ、私の心と体よ。私だって辛いし、眠いのはわかっているんだから。
 だけど、そんな理由で学校の授業と合同鍛錬を休むことなどできるはずがないだろう。緊張のせいで寝不足、だなんて欠席の言い訳にすれば一生涯の笑いの種を作ることになるぞ。さらに「体調管理もできないのか、お前は」と、先生からありがたいお言葉を頂くに違いない。
 分かってるんだよ、そんなこと。
 いちいち言わないでよ、まったくもう。
「 ・・・ ・・・ はあ」
 なんだか、ものすごく虚しくて、悲しい気分になってきた。推薦の話が来てから眠りにつくまではすっごく幸せだったのに。昨日のうちに喜びすぎて「嬉しい」という感情がガス欠にでもなってしまったみたいだ。おかげで睡魔には打ち勝てないでいる。
 何か心を奮いあがらせてくれる別に物を探さないと。
 顎に片手を添えて考える。
「どこかの石像みたいですね、ふぶき」
 耳慣れたおっとりとした口調に顔を上げると同部屋の親友がいた。
 学校に通う生徒の多くは利便性から敷地内の宿舎に住んでいる。でもって宿舎はほとんどが二人か三人が共有する相部屋になっている。私の部屋の場合は二人だ。
「おはよう、知世」
「おはよう、ふぶきちゃん」
 私の相部屋の相手、寝巻き姿の知世は礼儀正しく挨拶を返してくれた。
 天童児知世。宿舎で同室になってからできた私の友人だ。貴族令嬢のようなおっとりとした雰囲気と童顔のせいで、私と同世代なのに他人からは同世代に見られないことが多い少女だ。私と一緒に行動することが増えてからは、他人が私を引き合いに比べては同年代であることに驚かれることが増えた、と嘆いていた。それもそうだろう。身長も体格も女性にしては大きい半獣人の私と、普通の体格なのに幼く見られる素質のある知世を比べれば、余計に幼く見えるのは当然道理だ。
 寝起きの知世は袖の長い寝巻きの上から、防寒のために肩全体を覆うショールをかけていた。毛糸で編んだ自作らしい。見た目だけでなく、中身も女の子なんだよな、知世は。
 知世は私と違い十分睡眠とれたらしく、さっさと長い黒髪を櫛で梳かしながら着替えの用意を始めた。
 寝起きなのにいそいそと準備を始める活力あふれる知世。
 この一言だけを聞けばシャキシャキ行動する姿を想像するが、実際は知世らしくおっとりとした雰囲気がちゃんとある。別に本当に間延びした動きをしているわけでもないのに不思議だ。いつも思うが、これは天性の才能か、でなければ完璧周到な計算付くの行動に違いない。
「 ・・・ ・・・ 。とこでさっきから難しいお顔をしていらっしゃいますが、何か悩み事でも?」
 窓を開け、外にいた小鳥にパンくずをあげながら、知世が小首を傾げて問いかけてくる。
 ほんと、やることなすこと可愛いなあ、この子は。冬でも小鳥がいれば実行する知世の習慣に文句ひとつ言わずに我慢できる理由がここにある。アニメの二次元少女のごとき様で小鳥と戯れる姿を眺めているだけで、今日一日の活力充填と、至福の癒しを得られるのだ。我慢のし甲斐があるというものである。
「うん。いや、もういいんだ。うん」
「 ・・・ ・・・ ?」
 難しい顔から一転、至福の表情を浮かべる私に知世は困惑の表情を浮かべた。
「そうですか。悩み事は解決なさったんですね! おめでとうございます」
 私の表情の変化を、知世は誤った解釈で納得してしまった。
 うーん。違うんだよなあ、友よ。まだぜんっぜん悩みは解決してないんだよ、困ったことに。
 けど、心から祝福するように嬉しそうな顔をする知世に、気分を害するような事実を伝えることはできなかった。というか、笑顔に癒され、心奪われ、何もいえなかったのが本当のところなんだけど。
「 ・・・ ・・・ ふぶきちゃん」
「なぁに?」
 ほんわかと気の抜けた声で返すと、知世が困った表情で私に服一式を手渡してくれた。
「ふぶきちゃん。急がないと朝稽古に遅れてしまいますよ?」
「 ・・・ ・・・ 。ハッ!」
 夢の世界に逃避行していた私は、ここでようやく我に返った。
 首が引きちぎれそうな勢いで振り返り、枕脇に置いた時計を確認する。
「いつもはね、私。ふぶきちゃんが『遅れる遅れる』て言って走って出て行く姿を見て目を覚ましていたのよね。今日は静かだし、難しい顔しているから、病気でもしているんじゃないかと心配していたの」
 だったら早く言ってくださいな!
 いや、逆恨みだってことくらい分かってるんですけどもね。
 手渡された服に急いで着替え、再び時計を確認する。やべえ、朝食に間に合わないかもしれないぞ、これは。朝食抜きで午前中の鍛錬に参加するとか、水なしで砂漠に放り込まれるようなもんじゃないか。
「行ってくるわ、知世!」
 挨拶だけを知世に送り、一瞥もくれず私は部屋から飛び出した。
「気をつけていってらっしゃいねー」
 いいよな、朝の遅い魔法使い志望学生は。
 心の中で知世に羨望と、滂沱しながら、私は食堂に向け疾走を開始した。


次「追憶1」へ続く
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