木之本ふぶき。十六歳。半獣人。
 両親共に健在で、父親が護衛騎士、母親は普通の専業主婦をしている。家庭内に不仲や借金のような生活面の問題はない。
 成績はいたって普通。特出した能力も、教科もない。
 性格は明るく、友人関係は良好。ただし、黒将守羅とだけは付き合いの長さの割に、恋人や幼馴染のような特別な親密さがない。
 志望業種は父親と同じ護衛騎士。

 部下に収集させた木之本ふぶきに関する調査書類に目を通し終え、オレは眉をひそめた。
 これ以上ないほど平凡な少女だ。可もなく不可もない。
 憧れの相手に呼ばれれば緊張と興奮で舞い上がり、扉を開けることすらできなくなる。本人を目の前にすれば、尊敬と好意の眼差しを送り、幸せの絶頂でいるかのような表情を浮かべる。
 瞳には人並みはずれた野望も、野心も、願望も、意志も見られない。ただただ普通に青春時代を過ごす少女の手本のような生き様だ。若い間に恋人を見つけ、結婚し、子供を作り、幸せな家庭を築くことを夢見ている普通の少女、という感じだ。
 だから分からない。なぜ、学園最優秀生徒である黒将守羅が、護衛に木之本ふぶきを選んだのか。
 書類の束は、手の平に隠れる小さな木之本ふぶきの写真と共に、紐を通してひとまとめにされていた。
「黒将守羅を計画に利用するつもりだったが、余計なおまけが付いてきてしまったな」
 正直言ってしまえば、計画の障害になる可能性は皆無だろう。
 だが、ゼロではない。かつて矮小な蟻が作る巣穴一つで堅牢な城壁が崩壊したという逸話がある。話の虚実は別にして、本質は重要だ。
 ごくごく平凡な木之本ふぶきの存在が計画を崩落させる引き金にならないとも限らない。計画に関係するあらゆる要素を入念に調査する必要がある。
「オレの栄光と繁栄と勝利のために、全ては盤上の駒でなければならない」
 調査書類を書斎机の上に置きながら、重みのある椅子を引き、腰を下ろした。
 頭の中で複雑な魔法陣を描き出す。2重円を基本に、魔法言語を並べたものだ。さらに外側に四角形を二つ外接させ、魔法言語で囲い込む。
 魔法陣は完成するとオレの意思に従い効果を発揮し始めた。頭の中に自分を中心に球体を構築。これが魔法の及ぶ効果範囲だ。他人に気付かれない希薄な魔力を周囲へと拡散させ、反応を待つ。
 結果はそれほど待たずして現れた。効果範囲内に三つ、赤い点が浮上する。その中から一番近いものを選択し、意識の一端を端末化して送り込む。感覚としては、自分の思考を一部引き伸ばして相手へと届く通路を作っている感じだ。
 この魔法を『思念通話』という。原理的に異なるのでこの例え方は気に入らないが、乱暴な言い方をすればテレパシーと同じ能力だ。遠距離にいる人間と精神を魔法の通路で繋ぎ、意思疎通を可能にする魔法。
『光賀。木之本ふぶきは帰った。小道具の回収と処理を頼む』
『了解しました。十分後、そちらに向かいます』
 オレも相手も淡々として口調だ。別に世間話をするために回線を開いているのではないから、問題はないのだがな。ただ、さっきまで木之本ふぶきと『仲の良い先輩後輩』を演じていたから妙な違和感がある。オレもまだまだということか。
 必要な事柄だけを質疑応答し回線を閉じた。
 さて、部下が来るまで何をするか。
 頭の中に構築した魔法陣を分解、還元しながら、卓上に置かれた盤面へと視線を落とす。黒の軍勢が白の軍勢に追い込まれ、チェックメイト寸前だ。
 おもむろにオレは最前線に立つ白のポーンの頭を掴んだ。そして、魔力を首元に走らせ音もなく切断した。削れたポーンの粉末一つ、かけら一つ作らない、完璧な調整だ。断面もきれいで金属のように滑らかに光沢を放っている。
 ポーンをくびり落とせば、次はナイト。そして、ルーク、ビショップ、クイーンと進み、最後にキングの首を落とした。
 窓の向こうで風が音を立てて吹き荒れている。不気味で、不吉な雰囲気だ。だが、オレには無関係の世界だ。
 運命が味方する限り、オレに敗北は存在しない。常に絶頂の中を進み続けるだけだ。
「いかなる状況であろうとも、邪魔者は全て抹消する。このチェス盤の駒のように」
 黒のキングを持ち上げて魔力で覆い、首のない白のキングの上から叩きつける。当然、打ち勝つのは黒のキングのほうだ。白のキングは簡単に砕け、破片を撒き散らす。
「そう。オレはこの黒のキングそのものだ。黒のキングがオレの力で白を全て排除されたように、オレも運命の力によって守られ全ての障害を抹消する。なんびとも、オレに勝つことは叶わない」
 黒のキングを眺めながら、オレは薄く微笑んだ。
 他人にはない絶対的な力。
 その存在を実感し、心地よい優越感に身をゆだねる。
「遺跡に眠る遺産を手に入れるのはオレだ。他の誰でもない、このオレが手に入れ頂点に到達する足がかりにするのだ」
 遺跡の中で40年前から不可侵であり続けた最奥部。その先にあるはずの強大な力を思い描く。
 有無の証拠は存在しない。だが、確信がある。ならば存在するはずだ。
 あの開かない扉の向こうに。この世界に存在する全てを圧倒するはずの力が。
 この確信はオレが持つ絶対的な宗教のようなものだ。『運命の力』と言い換えてもいい。オレの人生を支え、人間としてだけでなく生物としての頂点へと押し上げる力。オレの抱く直感、感動、決意、意志、全てを巻き込み現実に変え、成功させる生まれながら勝者になることを約束された者の力だ。
 ああ、楽しみだ。
 またオレはこの世の頂点へと近づいてしまう。


次「少女の物語4」へ続く
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