目が合うと、切れ目の双眸の中に浮かぶダークブラウンの瞳が 私を見返していた。天全教授の瞳は、褐色の肌よりも濃厚で 、深く、オールバックにした銀髪よりも鮮明に光を放っていた 。強い意志を感じさせてくれる力強さがある。それでいて野性 的な顔立ちを和らげる優しさに満ち満ちていた。自分より頭一 つ分身長が高いのに、威圧的なものを受けないのもそのおかげだ。
「遅いので心配していましたよ」
「 ・・・ ・・・ 。あ!す、すいません!」
 あまりに急な展開に私の頭は一瞬、凍結状態に陥った。
 まるで妄想が現実になったような登場の仕方だ。そのせいで頭が 夢を見ているように錯覚する。が、どうやら夢でも幻でもなく、本 物の大全教授が、現実に目の前に現れているらしい。
 我に返った私は、かろうで『遅いですよ』のくだりを認識し、反 射的に深々と頭を下げ謝罪した。謝罪の言葉を述べてから、じわじ わと頭の凍結が解除されていくにつれ、現状の把握が進んでいく。 地位も、名声も、実力も、私に比べれば天と地ほどの差が天全教授 と私の間にはある。そんな相手を私の失態、もとい妄想癖で待たせ てしまった事実に気付き、顔面蒼白になった。
 心臓がさっきまでの緊張とは別の意味で拍動を加速し始める。
「言い訳はしません。私のミスです。いかなる叱責も受けます。申 し訳ありませんでした」
 覚悟を決め、恐怖と緊張で両目を堅く閉じながら待っていると、 不意に肩に手を置かれた。
 やわらかく、大きく、温かい手の平だった。怒った様子はなく、 優しい手つきだった。
 体が大きく震えた。無言と意外な動作に大全教授の意図が読み取 れない。だから余計に動けなくなった。頭を下げたまま、何か言わ れるのを待ち続ける。
 しかし、いつまで経っても大全教授からの叱責は振ってこなかっ た。いや、むしろこれは無言の圧力というものだろうか。
「顔を上げてください」
 大全教授の声にも怒りの色はなかった。肩に乗せた手と同じ、優 しさと穏やかさに満ちていた。恐る恐る顔を上げると、大全教授は 私の肩に片手を乗せたまま、優しく微笑みかけてくれた。顔をあげ ることができたのは、ひとえに大全教授の言動に怒気がなかったか らだ。そうでなければ、顔を上げるどころか、ますます頭を深く下げ ていただろう。
「いけませんよ」
 優しい言葉から一転、お叱りのお言葉に。
 たった一言で全身がこわばった。穏やかな口調で怒られるのだろう か。それはそれで感情的に叱られるのとは別の方向で恐ろしい。叱 る、というより、諭すというべきか。冷静で的確な分、原因と結果 の因果関係を明瞭にされ、自分の失敗をピンポイント爆撃されてい る気分になる。それだけに、聞く側の体勢が真面目であれば間違い の修正に効果は高いけど。
「そんなにかしこまらないで。別に叱っているわけではありません から、ね」
 大全教授は肩に手を乗せたまま、私に部屋の中全体が見渡せる ように体を動かした。
 部屋の中は、大全教授の心を表したように整理整頓がいきわた り、家具が整然と配置されていた。両側には分厚い専門書や魔法書 がいっぱいに詰まった本棚が。部屋の中央には茶器が置かれた小さ な机と椅子が二脚。奥には大全教授のものなのだろう、高級そうな 書斎机が見える。最後に正面の窓から光が差し込み、全体が光り輝 いているようだ。
「せっかくの紅茶が冷めてしまうところでしたよ」
「紅茶、ですか」
 話の展開が予想外で、大全教授の言葉を反芻し、なんとか理解す る。どうやら部屋の中央に置いた机のうえにある茶器のことをさ しているらしい。
 私の肩から手を離し、大全教授は机に歩み寄る。
「申し訳ありません。こんな粗末なものしか用意できなくて。 なにぶん、いつもは自分の机以外に席を使うことがないんです」
 机他、部屋の中央にあるもの全てをまとめて言っているらしい。
 確かに、部屋の奥にある書斎机の迫力、質に比べれば、劣るもの に見えなくもない。
 しかし、机も、椅子も、細かな彫刻が施されて いることが一目で分かる。木に蔦が絡み付いている様子が題材にな っているようだ。茶器も、描かれた花柄の模様が緻密で、とても真 似できるような代物ではない。これだけでも十分に質の高い、高価 なものとわかる。
 それが『粗末なもの』って、その書斎机いったいいくらするん ですか、大全教授。
 無粋な私の思考など当然知らない大全教授は、その間紅茶 をカップに注ぎ、一人お茶の用意をしていた。優雅な仕草が美しい。見惚れてしまいそうだ。
 て、なにのんびり眺めてるんだ自分は!
「た、大全教授。言ってくだされば私がしますのに」
 慌てて駆け寄る私に、大全教授は茶器を手に持ったまま優しく 微笑みかけてきた。
「気にしないでください。いつも自分でやっていることですから」
「でも、大全教授のように立派な方が、こんな雑用をするなんて」
 なおも食いつく私に、大全教授は笑顔に困惑の色を混ぜた。
「だから気にしないでください。それどころか、いつもやっている ことを人にやられるほうが気になりますから」
「 ・・・ ・・・ そ、そうですか?」
 納得しきれない。立場的に考えれば、私が仕事をするのが普通だ し、常識的だ。しかし、そこまで言われれば、これ以上しつこく食 いつくことも逆に失礼だ。それに、二人で言い合っているうちにお 茶の準備は済んでいた。立ち上る湯気からほのかに薔薇の香りがす る。薄い琥珀色の紅茶で色合いも美しい。
「さ、おかけください」
 椅子を引き大全教授が私に席の用意までしてくれた。変な気分に なりながらも、嬉しいので少し戸惑ったあと、意を決し席につく。
 顔を上げると大全教授が私の背後を見つめていた。気になって振 り返ってみると、扉が開けっ放しになっていた。
 顔から火が吹き出たかと思うほど一瞬で熱くなる。緊張の連続で 扉を閉めることをすっかり忘れていたらしい。
 あわてて閉めにいこうと立ち上がると、傍を一陣の風が吹きぬけ た。春に桜吹雪を作る、緩やかで穏やかな風だ。
 風は目に見えない。が、気配は分かった。それが自然現象ではな く、魔法にって具象化した風だからだ。だから、魔力の気配を知覚 し、位置を認識することができる。風はドアノブに絡みつくと、内 側に動き扉を閉め、仕事を終えると魔力へと還元され大全教授の元 へと戻った。
 一連の流れを眺めていた私が最後に行き着いたのは、優雅に紅茶 を口に運ぶ大全教授の姿だった。大全教授にとってしてみれば、こ の程度のことカップを持ち上げるよりも簡単なことに違いない。
 けれど、それを自分の不注意でさせてしまうとは、気の利かない 恥ずべきことだ。
「またお手間をかけてしまい申し訳ありません」
「言ったでしょう。気にする必要はありません。それよりも今は大 事な話がありますから」
 席から立ち上がりながら、大全教授は私に手の平を向け、片手を 前に突き出した。『お茶をどうぞ』というジャスチャー、か?
 お言葉、というか好意に甘え、私はカップを手にとり、口に運ん だ。お湯につけていた時間が長かったせいか、香り豊かだったが、 紅茶の味は少し酸味が強かった。淹れてもらっておいて不平を漏ら すのも失礼なので、率直な感想は顔に出さないよう気を引き締めて 耐えた。
 私が紅茶の渋さと戦っている間に、大全教授は書斎机の引き出し からから束になった書類を取り出し、机に戻ってきた。分厚くない が、薄くもない。十枚前後くらいだろう。
「これを見てもらえますか」
 手渡された書類に私は目を通す。表紙はタイトルだけが記され ていた。『アヴァン地区第一遺跡探索目録』とあった。


次「少女の物語3」へ続く
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