「おかえり。ちゃんと仕事をこなしてくれたようだな」
「人に後輩の相手を任せて、自分が優雅に朝のティータイムか、この野郎」
 峰聯が赤大佐に向けて、仏頂面で放った第一声はそれだった。まあ、力ずくで人に仕事を押し付けた本人が、優雅に紅茶なんか飲んでいたら愚痴の一つこぼしたくなるのは分かる。
 しかし、つい1時間前にヘッドロックかけられていたのに、よく真正面から相手に言えるもんだな。怖くないのか?
「ん? 何か不満があるのか? 飲みたいんなら、お前の分も用意するが?」
「そういう意味じゃねえよ」
 ティーカップを掲げ、湯気が立つ紅茶を見せ付けながら、赤大佐が峰聯に提案する。なみなみと注がれている紅茶の量を見ていると、1時間前から赤大佐は飲み始めていたことを思い出した。湯気が立つほどの温度だ。飲まずに置いていたのではなく、飲み終えてから、ついさっき新しく淹れたものに違いない。
 一体私たちが戻ってくるまでの間に何杯飲んだんだ、この人。
 峰聯は青筋を立てながら怒りを押さえ、手にした書類を赤大佐に差し出した。ここに来る途中、隊員の1人に峰聯が手渡されたものだ。なぜか私と守羅には見せなかった。そのくせ、私と書類の文面を何度も見比べて渋い顔をしていたな。
 お陰で気になって仕方なかったぞ。
「あんたに渡しておいてくれって頼まれたんだが、なんだこれは」
「お。きたかきたか。遅いからどうしたのかと思ってたぞ」
 赤大佐が嬉々として差し出された書類を受け取り、文面に目を通し始める。分量は少ないのか、視線の流れはかなり速い。あっという間に読み終えると、赤大佐はなぜか私のほうへと書類を差し出してきた。
 なんなんだ、これ?
「部隊の移転願い受諾書だ」
 聞いてもいないのに私の疑問に赤大佐が答えた。
 読心術?
 いやそれよりも、移転願い?
「お前を私の部隊に編入する。大体、前衛志望なのに後衛である大全教授の部隊にいるとか、おかしいだろう」
「 ・・・ ・・・ はい?」
 目が点になった。
 焦って文面を確認すると、赤大佐の言葉どおり、書類は私の編入先変更を承諾する内容だった。
 大全教授率いる後衛部隊から、赤大佐率いる前衛部隊へと。
 事実を頭の中で反芻するうちに、心が理解に追いついてきた。じわじわと、嫌な汗が背中をつたってきやがる。恐怖と、不安と、絶望と、緊張で体が震え、ストレスで胃がきりきりと痛み始めた。
「守羅ッ!」
 即座に振り返り守羅のほうを向くが、顔をそむけて顔を見ようとしない。
 ええい、助ける気はないのかお前は! さんざん怖がらせるようなことを言ったのはお前だろうに!
「そういうわけでお前は今から私の部隊の一員だ。よろしくな」
 私の動揺に気づかないのか、無視しているのか、赤大佐が握手を求めてきた。
 差し出された左手と、書類の文面を何度も交互に見比べて、現実を確認する。
 実は人違いしているとか、書類上の不備とか、勘違いしているとか、そんな事実はないかなあ、と。けれど、現実は残酷なことに全てにおいて間違いはなく、支障なく私は前衛部隊編入されてしまっている。
 こ、これも、運命というやつ、か? 言っちゃ悪いが最悪な運命なんだが。
「 ・・・ ・・・ よ、よろしくお願いします」
 何かされないか警戒と戸惑いつつ、私は握手を交わした。
 驚いたことに、戦場の最前線で戦う役職にもかかわらず、柔らかい手の平だった。私の手全体を覆いこみ、暖かく包み込んでくれるような包容力がある。
 私の強張った心まで、負の感情から解放し、支え、守ってくれるような温もり。
 ただの手の平のはずなのに。
「それじゃ出発するぞ」
「え。もう時間ですか?」
 聞きながら敷地内設置の公衆用時計へと目を向ける。いつのまにか10時目前になっていた。周りでは荷車が動かされ、隊員たちがみなドームのほうへと向かい始めていた。
「それでは私は後衛部隊へ戻りますね」
 守羅が軽く会釈をして自分の部隊へと戻っていった。そうか、魔法使いだから後衛になるんだよね。
 ・・・ ・・・ 。
「逃げられたッ!」
 守羅が遠ざかってから、私は残酷にも自分ひとりがここに残されたことに気づいた。追いかけるにも守羅の姿はもう遠い。走ればすぐではあるが。
「お前はこっちだからな」
「わ、分かってますよ」
 赤大佐がぎろりと睨み付けてくる。さっきの優しい握手が嘘のように、恐ろしく怖い。
「そうか。それならいいが」
 傍らに置いた剣を持ちながら、赤大佐が立ち上がる。赤い装束に合わせているのか、鞘と柄に燃え上がる業火を浮き彫りにしてあるのが特徴だ。
 私を含め、他の隊員たちは翼を題材に使った鎧の装飾にあわせ、同じように剣も飾りがある。防具と武器とは連動させるようにする決まりでもあるようだ。だとすれば、赤大佐の装備はそのための特注品となる。他の隊員の中に、炎を装飾に使っている人なんてひとりもいないもの。
 自費 ・・・ ・・・ なのか?
 偶然にも剣を注視していた私は、再び驚かされた。赤大佐が剣をベルトに差し込むとき、ちらりと見えた外套の下の様にだ。多数のベルトを体に巻きつけ、そこに何本もナイフを仕込むわ、いくつも小型パックを縫い付けてあるわ、傍から見ても分かる多機能っぷりだ。この人、今でこそ前衛部隊に所属してるけど、もともとは魔法使いだから、その名残なのだろう。
 どんだけ暗器と、小道具使うつもりなんだよ。
「さあさあ、きりきり歩けよ」
 先だって歩き出す赤大佐の後を追い、私たちもドームへと向かい始めた。
 ドームは私たちが集まっていた場所とは目と鼻の先にある。ここからでも、その姿を見ることができる近距離だ。
 真っ黒いぬっぺりとした姿に、身の毛がよだつ。
 空間の空ろ。時空に開いた虚無の井戸。物を放り込めば、果てなく永遠に飛行を続けそうな、限界の見えない闇。
 これから中に入る遺跡の闇を象徴しているかのようだ。
「入り口はまだ開いてないんですね」
「中で遺跡の入り口を開いている途中だろ」
 ドームの入り口も壁面と同じように黒一色だ。入り口と壁面の区分すら、外から見分けることはできない。だから、外から中に入るときは周囲の情景、方角から入り口を推測するしかない。
 入り口前に待機する部隊と荷車を迂回し、私と赤大佐と峰聯は最前列に立った。
「赤大佐。私は後ろに下がっていたいんですが ・・・ ・・・ 」
 だって、部隊の中で一番若く未熟は私が、最前列に立つ。嫌でも緊張と重圧を感じないわけにはいかない。気のせいか、そうでないのかは知らないが、背後から視線を感じて仕方ないのだ。視線の意味に、いい悪い関係なく。
「なんでだ?」
「いや。私みたいなのがここにいるなんて、分不相応、みたいな」
「何を言う。今回の生徒の参加は、実体験を通した経験による教育を目的にしたものだ」
 赤大佐がいじの悪い笑みを浮かべる。
「ここで、しっかり峰聯の戦いを見て勉強するがいい」
「あんたは戦う気なしですか」
 冷め切った目で峰聯が放つ冷静なツッコミを、赤大佐は。
「お。入り口開くぞ、準備しろ」
「無視かよ」
 一瞥すらしなかった。
 ほんと、フリーダムだな、この人。
 ドームの入り口がゆっくりを開き始めた。
 音もなく。
 地響きもなく。
 あるはずの厚みや、重量感をまったく感じることができない。
 闇そのものが動いて口を開けるようだ。あるいは、人影が左右に動いているかのごとし。
 ドームの中は薄暗く、なのに燃え上がる炎の光は鮮烈だ。
 不思議なギャップ。明暗の対比がある。全ての光を飲み込む漆黒の中で、太陽より苛烈で色彩鮮やかな光がいくつも輝き踊り猛っている。
 中央には1つ光り輝く5芒星が配置されている。それぞれの角が、具現化、具象化、攻防系、精神系、言霊の基本魔法五体系を現している。魔法学の中では特別珍しい図形ではない。5体系全てを使用するためのものだから、実際に使用するとなると高度な魔法に限定されるが、図形の単純さから多数の魔法書や教科書にも記載されている有名な図式だ。
「入るぞ」
「まだ魔法の途中じゃないんですか?」
「魔法の途中だから入り口が開いているんだよ」
 赤大佐がドームの中へと進み出る。つられて私も中へと入った。
 中は、そう、形容しがたい空間だった。
 暖かくもなく、寒くもない。無味無臭なのに、喉と口を刺激する感覚がある。どんよりとした空気は、それでいて私が前に出るとすぐに遥か後方へと流れていく。何も聞こえないのに、鋭敏なほど聴覚が働いているのが分かる。
 全ての感覚が異常なほど活性化されているのに、相応の刺激がないのでまったく生かされない。なんというか、元気が有り余っているのに与えられた仕事が役不足すぎる、という感じ。
 光と闇。
 存在と虚無。
 両立しあえるはずのないに要素が、ここには同時に内容されている。
「こ、れは」
 驚きとは違う。
 驚く暇もない。
 過敏な自分自身の感覚に、私は酩酊した。知覚する情報が多すぎる。そのせいで頭が急速に疲弊し、思考が不安定になる。
「入り口を開くだけではなく、開くための魔法を安定して持続するために、魔法使いの集中力を高める特殊な魔法と薬が焚かれている。気分が悪くなったら遠慮なく言え。無理をすると正気を失うぞ」
「だい、じょうぶ、ですよ」
「そうか。 ・・・ ・・・ そうだな。意識を保つために何か話をしてやろう。入り口の解説でもしてやろうか?」
「大佐。それは機密事項じゃ」
「理屈を知ったところで問題はないだろう? 体系全て理解しないと入り口を開くことは不可能だ」
 赤大佐と峰聯の2人の会話が遠くに聞こえる。鋭敏な聴覚は確実に言葉を捉えているのに、頭が理解しきれない。
「聞き流してもいいが、注意だけはしておけ。そう、寝る前に母親が歌う子守唄を聞くような感じでいい。それくらい軽く、しかし、意識だけは向けておけ」
 なんとか頷くと、赤大佐は言葉を続けた。
「遺跡の入り口は異相空間物質を召還したものだ」
 異相空間物質。私たちが存在する空間と並列しながら、接触を持たない世界。水がざるを抜けて零れ落ちるように、互いの素粒子は接点を持つことはない同居存在。
 召還は、その異相空間物質を魔法の基本五体系を使用し、体、属性、精神、魔力の安定、目的規定し、接触可能な状態に固定する技術。
「だが、遺跡の入り口は完全に召還状態を解除するわけではない。元来の非接触状態と召還状態を同時に維持する高等技術だ。故に魔法使いには天才的な技術とセンスと―――が―――」
 意識が遠ざかっている。
 気が、とお、い。
 眠いんじゃ、ない。
 落ちる。

 白い世界の中に、2人、子供がいた。
 霧に埋もれたように、その姿は曖昧で不鮮明だ。
 女の子と、男の子だ。
 髪の長さと服装から分かる。
 どちらも鳥系の半獣人らしい。
 背中に翼が生えている。
 こちらには後姿を向けている。
 なぜだか、男の子のほうは誰なのかすぐにわかった。
『守羅』
 世界が揺らいだ。
 揺らいだことが見えないのに、なぜか認識はできた。
 何故揺らいだのか、その理由は分からないが。
『守羅』
 これは、誰の声だろ。
 どこからともなく聞こえてくる。
 あの女の子は誰だろう。
 あの女の子の声なのだろう?
 分からない。
 分からない。
 ただ、私は見ているだけ。
 ただ、私は聞いているだけ。
 そこから先へは進まない。
 そこから先へは『進めない』。


「少女の物語9」へと続く
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