緩やかな振動が絶えず私の体を揺り動かす。怠惰に、活力を失った体に心地いい。ただ、贅沢を言えば寒いからもっと暖めて欲しいな。そうすれば、もっと眠りやすい環境になるのに。
 ……そういえば、なんでここはこんなに寒いんだ?
 それに変な音が聞こえる。体が揺れるたびに耳元で響く金属音。
 金属音?
「やっと目を覚ましたか。心配したぞ」
「……」
 目を開くと峰聯の顔がそこにあった。別に言うほど近くはないが、変なのは私が見下ろされる位置にあることだ。
 何故に私は見下ろされている?
 というか、見下ろされる位置、てどういう状況だ。
「大佐。ふぶきが目を覚ましたぞ」
「おうおう。やっと目を覚ましたか。心配したぞ。ま、気にするな。初見で気を失うことはそう珍しくはないことだからな。私は気絶しなかったが」
「余計なこと言わないでください」
 赤大佐が顎に手をあて、得意げな表情だ。
 何で得意げなんだ?
 峰聯は峰聯で、赤大佐に向け、たしなめるような表情をしている。
「あ、あの」
「ん? なんだ。気分は悪くないか? ちゃんと五感は働いているか?」
「それ以前に一体、今どういう状況なのか、と」
 赤大佐と峰聯が顔を見合わせた。
 なんだ? 私変なこと言ったか?
「ふぶき。お前は何でここに来たのか覚えているか?」
 聞いてくる赤大佐の表情は真剣そのものだ。眉間にしわを寄せ、深刻な色を帯びている。こういっては失礼だが、奇想天外そうな赤大佐のイメージに合わない気がする。
「ここ? ここってどこ……ですか?」
 あたりを見渡してみる。何故だか頭を動かしづらい。
 左を見ると峰聯の体があった。
 右を見ると赤大佐と茫漠とした闇が広がっていた。光明は周囲を照らしているが、闇は圧倒的に濃く広い。
 夜、ではないようだ。空に星や月が見えないもの。
 だが、屋内でもない。壁が見えず、屋内だとしてもかなり広い空間だと分かる。
 ええと。
 記憶を呼び起こしてみる。
 今日は朝早く目を覚まして。準備して。知世と一緒に部屋を出て。
 ……なんで早起きしたんだ?
「そう! 遺跡の探索に来たんだ!」
「思い出すのが遅いわ!」
 峰聯が叫んだ。
 さらによくよく順序だてて考えると、忘れ去っていた記憶が意識の中へと浮かび上がってくる。
 集合場所に来て。知世と別れ。守羅と合流し。編入され。
 そして、ドームの中で意識を失い、夢を見た。
 脳裏にあのぼやけた2人の子供の姿が蘇る。あの2人、一体誰だったんだろう。思い出そうとするとひどい嫌悪感と、忌避の意識が沸き上がる。自分自身で理由が分からないのに、拒絶する。
 一体何故だ?
「悩んでいる途中悪いが、そろそろ降ろさせてくれないか。いい加減、目も覚めただろ」
 喋りながら峰聯は嘆息した。
 降ろす? 誰を? というか、私に向けていっているわけだけど。
 ……。
 ……。
「そうか! 私峰聯に運ばれてたのか!」
「呼び捨てかよ」
 顔を見上げているわ、やけに体が近いわ、不審に思っていたが、そういうことだったわけね。
「すいません。迷惑かけちゃったみたいで」
「気にすんな」
 体がゆっくりと降下し、まずは足を地面に付けられた。ごつごつとした岩の感触が足の裏に伝わってくる。足裏の動きに合わせ支障がないよう稼動部が作られているが、脚部全体は鉄製で相応に硬い。だから、地面の凹凸に合わせて動く靴の弾性がなく、立っているだけで少し不安定だ。
 淡い睡魔が頭を揺さぶる。体は妙に軽快なのに、頭は鉄くずを詰められたように重くだるい。
「だるいか? 立てないなら、また運んでやるが」
「いえ。少し馴れれば問題ないです」
 峰聯を支えに手を突きながら、頭を振って気だるさを振り払う。けれど、一向に回復する気配はない。睡眠不足とか、徹夜で酷使した目の疲労や、肩こりが原因で起こったときの異常とは違う。今まで一度も体験したことがない疲れ方だ。
「ふぶき。頭を振るくらいじゃ治らないぞ。精神的な疲労だからな」
 峰聯から手を放して移動できない私を、今度は赤大佐が抱き上げて運び始めた。
「赤大佐。一体何、を?」
 狼狽する私に赤大佐か口元を吊り上げて笑いかけてきた。何かを企んでいるようだが、悪巧みをしている様子ではない。誰かのためになることを思いつき、けれど、それを相手に伝えずに行動を起こすちょっとしたいたずら心。兄貴風をふかす上級生や、ガキ大将、お嬢様のような、そういった雰囲気だ。
 みずみずしい、若々しさが感じられる。
 赤大佐は私を地面に座らせ、自分も目線が合う高さにまで腰を下ろした。それから、外套の下に隠れた小型パックから、小さな小瓶を取り出した。抜ける蒼天の青に、雲の白さを混ぜ合わせたような、二色が入り混じった色彩の液体が入っている。青空を閉じ込めたように、綺麗だ。小瓶の蓋を開け、口を私の鼻先へと近づける。
「無理しないでいいから、ゆっくりと息を吸え。鼻からな」
 肺に吸い込む吸気に混じり、鼻腔を花の香りがくすぐる。なんの、香りだろう。柑橘系のきつさや、薔薇のような豪奢なものではない。もっと単純で、懐かしい、香りだ。鼻が詰まるほど濃密に、けれど、苦しくはない。
 たんぽぽ……。いや、「ひまわり」だ。
 奇妙な確信と共に、脳裏に見たことのないはずのひまわり畑と、夏の暑さと、抜ける風の音が聞こえる。
 夏の記憶。私のものではないけれど、疲弊した精神を癒し和らげてくれる。
 音楽が、聞こえる。
 ゆっくりとした、ピアノの演奏。
「これは魔法を使った香水だ。香りと、精神系魔法を同時に相手に伝え、記憶を与え、感覚に刺激する。この香水の名は「夏風」。夏の日に夢を見た少女の物語、だ」
 疲労が嘘のように消え去り、目を開くと体以上に頭は明瞭快活になっていた。
「大丈夫か?」
 香水を小型パックに直し、代わりに赤大佐はハンカチを取り出し、私の目元を拭った。
「私、泣いていました?」
「泣いていいんだ。涙は人の苦しみや、疲労を押し流すためにあるもの。お前の精神はドーム内の集中力向上効果によって、不要な情報を抱え込んでいた。おかげで、半凍結状態に精神は陥った。それを、香水の力で意識の方向を指示し、膨大な情報から一度離す。それから、再度処理を行わせ、同時に感情を沸きあがらせ情報と共に押し流す。兵士が極度の戦闘下でも冷静でいられるよう作られたものだ」
 涙を拭い終えると、心身ともに健全になっていた。驚きを通り越し、笑い躍り上がりたくなるくらいだ。
「ありがとうございます。赤大佐」
「気にするな。隊員の状態管理も私の仕事のうちだ。それに、せっかくここまで来たんだからな。しっかり見て欲しいよ」
 赤大佐が顔を上げ、四方へと視線を巡らせた。私も倣い視線を周囲へと向ける。
 そこは、唖然とする情景だった。巨大な空洞。そして、廃墟。無残に打ちひしがれた瓦礫の山が、無数の山を築いている。
「ここは、第一層目、ですか」
「そのとおり。ちゃんと勉強してきたな」
 今回の調査隊が向かう終点は科学技術時代の遺跡だけど、別に目的地が一箇所だけというわけではない。
 第一層目は50年ほど前、地中探査中に発見された遺跡だ。直方体上の建築物で、外壁がそのまま支えになって地中に現存している状態で発見された。どうやら、数千年前にあった建物に土砂が積もり積もって、丸ごと埋まってしまったらしい。お陰で、この場所は巨大な空洞となり、貴重な当時に異物を守る役割をしていたわけだ。……どれも残骸だけど。
 ちなみに、この建物の出入りには、屋根と床を突き抜いた穴が利用されている。まだ埋もれていない頃、攻撃に会って破壊されたらしい。数千年の耐久性も、強烈な攻撃となれば話は別のようだ。
 第二層目は途中鍾乳洞を挟み到着する。こちらは第一層目とは違い、かなり原形をとどめているらしい。さらに、稼動する多数の機械が現存しているという貴重な場所だ。
「この外壁の面白いところはだな、ふぶき。この瓦礫の角をこすってみろ」
「はあ……?」
 差し出されたのは、ほんとうに何の変哲もない破片だ。手の平に余りある大きさだが、何故か羽のように軽い。見た目は岩そのものだ。地上で今も使われている白い外壁そのままに見える。
「断面を指でこすってみろ」
「はい。ん、あれ?」
 奇妙なことに、白いはずの岩が、こすり落として粉末にすると黒色に変色していた。それに粉末になったほうも、指先で互いにこすり合わせるとなんだか変だ。1粒1粒が粉末、というより、形の整った粒子という感じをしている。装備を外し、直接触ればもっと分かりやすいんだろうけど、なんだか気が進まない。それくらい、見るからにそろっているのは何故だろう。
「赤大佐。これは?」
 私の問いかけに赤大佐は楽しげに笑みを浮かべた。これ言いたくて話を振ったんだな、この人。
「ただの粉塵に見えるが、実はこれもまた科学技術の遺物なんだよ、ふぶき」
「この破片が?」
「いや、だから粉塵のほうが」
 はい? 言っている意味が分からず首をかしげる。こんな粉みたいなのが、遺物だって?
「顕微鏡で見ると分かるんだが、微小な機械の一種なんだな、これが。それも、数千年経った今ですら微細なエネルギーに反応し、起動している。これは第一層目の外壁周囲の温度がわずかに低下していることから確認された。温度を吸収し外壁を維持、再生させている。魔法学的に言えば、粒子レベルの人工精霊、というところか」
「これが。こんなのが?」
 にわかには信じられない。
 しかし、人口精霊、か。確かに、そう説明を受ければ納得でないこともない。魔法として考えれば、この小さな大きさで何かを構築することも不可能ではない。
 金属を使った技術は、私たちが扱う魔法技術では、まだまだ未発達だ。だから、金属でこの大きさを再現することはできない。
 だが、魔法では確かに可能だ。それはひとえに、科学技術時代とは違い、魔法が隆盛しているからだ。
 まあ、私は作れないけれど。
「第一層で、しばらく休憩を取る。今はその最中だ。しばらく、周囲を見て回ろう」
「いいんですか?」
「気にするな。私が先導する。護衛もかねてな」
 鈴のような音を立てて、赤大佐の剣が鞘から抜き放たれる。
「危なくなったら、私の近くにいろ。いいな。それじゃ、いくぞ!」



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